第10回「デジタル家電」編 1/2
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アナログからデジタルへ、この50年でさまざまな家電や工業製品が進化してきました。なかには、もう消えてしまったなつかしいものもあります。
いまは身近になったデジタル機器が登場する前はどんなふうだったか、覚えていますか ?
では、さっそく見ていきましょう!
移り変わりの激しい、デジタル家電。50年前って、どうだったの ?
50年前は、電話がある家のほうが珍しかった !
身近なデジタル家電に、スマートフォンや携帯電話をあげる人も多いと思います。しかし、いまではほとんどの人が持っている電話も、時計の針を50年ほど巻き戻してみると全く違う状況でした。1965(昭和40)年の一般加入電話(いまは固定電話とか家電=イエデンとよばれています)の普及率は、100人あたりでわずか7.5人。電話のある家のほうが珍しかったのです。
その後、高度成長とともに電話の普及率は急速に上昇。技術面の研究も歩を進め、1970(昭和45)年に大阪で開かれた日本万国博覧会では、世界初のワイヤレスホン(コードレス電話機)も日本電信電話公社から出品されました。
また、電話とは少し違いますが、1990年代に流行したポケベルを覚えているでしょうか。
最初は外回りのビジネスマンに連絡をとるためのものとして登場し、数字が送れるだけでしたが、その機能に注目した女子高生が公衆電話のテンキーから「0840(オハヨウ)」「0833(オヤスミ)」「724106(ナニシテル)」「4649(ヨロシク)」など数字だけでメッセージを送りはじめたのです。
後に電話機からの入力は数字の組み合わせでも仮名を送れるようになり、これもまたビジネスマンよりも女子高生を中心に大ブームとなりました。
それに続いて携帯電話やPHSが登場し、スマートフォンが瞬く間に広まりました。
携帯メールや携帯電話の多機能化が日本で独自に進んだのは、ポケベルブームの影響があったとも言われています。
パソコンや携帯電話でメールが頻繁にやりとりされるようになると、電話で相手と話すことはほとんどなくなるのではないかという予想もありましたが、いまだにコミュニケーションの基本は「実際に話す」ことのようですね。
最初の電卓は、車が買えるほど高価だった !
電卓とは電子式卓上計算機のこと。電子式の計算機ですから、コンピューターの一種なのですね。家庭や職場など、どこでも普通に使われていますが、最初のころはどうだったのでしょうか。
日本のメーカーが世界初のオールトランジスタによる電卓を発売したのは、ちょうど50年前の1964(昭和39年)のこと。卓上とはいえ重さが25kgもあったので、机の上に置くのはちょっとたいへんだったかもしれません。値段も、車が買えるほど高価でした。
それが、翌年に他のメーカーから出た電卓は18kgと早くも軽量化が進み、その後、各メーカーが競って高性能・小型・低価格化を進めた結果、いまのように誰もが手軽に使える形になったのです。その過程で、半導体技術が大いに進歩しました。この「まめ知識」の第6回でご紹介したマイコンも、電卓の進化に貢献した大事な技術の一つです。
1975(昭和50)年ころの関数電卓は、複雑な計算をさせるとディスプレイに数字を点滅させながら数秒間かけて計算をしていました。電卓が一種懸命に働いているようで、親しみを感じたものです。
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